自殺は他殺ではないのか?ということ。

タイトルにあまり意味はないです。
今日は非常に気分が沈んでしまった。いつも通り自己嫌悪と人間への憎悪からくる憂鬱だ。


ブロンは40錠ほど入れたが、全く効かなかった。完全に耐性がついてしまいました。

僕と同じメンヘラさんはたくさんいるけれど、なんだかんだみんな具体的な救いが存在するように見えました。
長い間Twitterをしていたけれど、病院、友達、恋人など縋ることが出来る存在を持っている人が多い印象だった。ひたすらに羨ましかった。
べつに自分を悲劇のヒロインに仕立てあげるつもりはないです。自分が持っていないものを持っている人たちが羨ましいだけです。
僕にそういう存在がないのは僕自身に問題があるだろうし、考えなくても問題はたくさん出てくると思います。
僕にも一応音楽という好きなものはあるのだけれど、それを救いとは考えることはできないな、と思うのです。
音楽のために生き続けようとは思えないし、なんだろう、好きな本からの引用になるのだけれど、「かつて趣味だった読書も音楽鑑賞も、あくまで『生きていくため』のものだったんだよな」
この一文が全てだと思うわけです。僕は明日にでも死んでしまうような精神状態で毎日過ごしている人間なのです。そんな人間に音楽を救いと考えるのは難しかった。
生きているのが楽しかったらまた違ってたかもしれません。

なら人間に縋って救いを求めたらいいじゃないか、と思うかもしれませんが、それが全て拒まれてしまったのです。
病院へ救いを求めたが、お薬を出されるだけで何の救いにもならなかった。そのお薬は全く効き目がない現状です。色んなお薬を試しましたが、どれも僕の憂鬱な気持ちを取り除くことはなかった。
次にカウンセラー、他愛のない会話しかしてなくて、これは意味があるの?と終始思ってたほど意味がなかったです。
そしてネットの友達(リアルの友達はいません)、昔からの友達が何人かいたけれど、誰も僕の苦悩に気付かず、苦しんでいる姿を「いつものこと」と解釈し、全員無視でした。
これはそう判断される僕の今までの行いも悪かったかもしれません。
最後に親、親に関しては直接的に何度も救いを求めましたが、最初は優しくしてくれたものの段々と気にもかけずに放置が目立ってきました。それが積み重なって、今では僕も期待しなくなりました。

 

こうやって自分で何度も救いを求めに行ったのです。でも誰も僕に手を差し伸ばさなかった。ネットの友達に関しては僕にもかなり非があるので仕方ないことだと思いますけど。
親にもこうした仕打ちを受けるとは思わなかった。決して悪い家庭ではないと思うのだけれど、どうも僕に興味がないようです。


こうしてみると僕が死んでも誰も悲しまないかもしれませんね。

今とても死にたい気分でこの文章を書いています。

憶測ですが、計画的に自殺を行う人間より衝動的に自殺を行う人間の方が多いと思います。
僕もその衝動的に自殺を行う人間の一人でもありました。未遂で終わりましたが。

とりあえずありったけの処方薬を飲むことにします。今どきのお薬ODでは死ねないことは重々承知であります。

 

結局誰にも認知されず、苦しいだけで終わりそうですけれど。