死にます、と言って死ねる人間なのかと言うと怪しいけれど。

何で生きているか分からない。日に日に、年々、精神状態は悪化してる。僕は自覚できるほどに、周りの言動や、出す音に対して敏感になっている。リアルのことで言えば、家族の小さい変化や、ひそひそ話とか。とにかく事象一つ一つに対し、過敏に反応するようになった。
一つの例として、最近朝早くから妹が友達を家に連れたりして会話などが
煩わしく感じる。
でもそれは常識の範囲内なんだよ。決して周りに迷惑をかける騒音ではない。こういうのにすら僕は不安を覚えるようになったんだ。
去年まで多少はあったにしろ、ここまで酷くはなかったように思う。


僕の人生には、生活には、恐ろしいほどに安心がない。物事にセンシティブなのか、ただ単純に僕が弱すぎるのか。人生に不満はないんだ。同時に安心もない。
好きなゲームも楽しくできなくて、やる時間も減った。唯一音楽は変わらず聴けるのだけど。


悪く言うつもりはないのだけれど、精神科は僕には一切の効果がないと去年分かった。もちろん精神薬も。僕の精神的問題は状況を知らない他者による介入で解決出来る話じゃない、と思う。ならどうやって解決するんだって話だけど。解決なんて無理なんだ。僕の生まれる時代じゃなかっただけ。

 

これだけ精神的問題を感じてるくせに、表には一切出さないんだよ。出せない、と言ったほうが正しいかもしれないが。暴力的に、攻撃的にもならず、目立った行動をしないからこうやって抱え込んじゃうのかな。

 

何を伝えたいかというと、そろそろ死のうかな。
死にます、と言って死ねる人間なのかと言うと怪しいけれど。
odをし、首吊り用に仕立てたロープを持ち、真夜中に散歩したりさ。形だけでも死のうとする格好を取るだけでも気持ちは違うかもしれないし、何らかの因果で死ねる可能性は十二分にある状況は作れてると思うんだよ。
まあ死ねたらラッキー、みたいな。

今日にでもしたいところだけど、od御用達のお薬がない。イヴでもそれ相応の効果は得られるだろうか。調べたけれど、それらしい話は出てこなかった。
気の変わらないうちに…。とはいえ、最近の精神状態では気を変わることもないだろうけど。

最近音に敏感になった。

音って言っても生活音とか。音楽だとか、”ネット上の”声だとかは好んで聴く。

むしろ音楽等々で生活音に対しバリアを張っているところがあるかもしれない。

 

敏感というと、ちょっとした生活音に不安を覚えるようになった。

家でのがさがさとか、外でのがたがたとか。大したことないであろう原因不明の音に不安を覚える。被害妄想の延長と言えばそうなるかもしれないけれど。

もちろん家だろうとどこでもイヤホンは常につけて音楽や動画の音を流しているけど、さすがに大音量とまではいかないし、外した隙に生活音が流れたり、確実に生活音から守れるわけもなく、苦しめられる。

被害妄想も相変わらずだし、希死念慮もまたちらほら。現実逃避先は今はないから定期的にゆううつになるし。

 

現実のありとあらゆるものに対して拒否反応を起こす。インターネットに住んでいたい。

あーだこーだ。

しばらくブログを更新していなかった。とは言っても2ヶ月くらい?何ら良い変化はない。

相変わらず引きこもりだし、そんでもってちょっとした事象にすら刺激を感じるし。

精神的に悪化をしている気はしなくもない。

最近までそんなことなかったのに、突然自分の部屋から出ると動揺が激しく、不安になるようになった。いよいよ末期か、とその時はおもった。

今はそんなこともないので、一時的か、何か原因があったのかもしれない。

最近は本当にこういう「昔はこんなことなかったのに」と思うような状況が度々起こるようになった。

上にも書いたように、ちょっとしたことで悪い刺激を感じることが増えた。

何もされてないのに、攻撃されてるような、被害妄想が常に付きまとうようになった。

被害妄想だって自覚できている分、変な言動は起こさないけれど、精神的にやられることは変わらない。いつまでこんな精神状態なんだろう、一生かな。

 

ま、いっか!(おわり)

あれこれ。

どうしようもなかった。

人間関係がどれも薄っぺらいものに見えてしまう。疎外感か、孤独感から来るものか。

どうしても”僕が居なくても”って思考になってしまう。

リアルはそもそも人間関係が存在しない友達ゼロ人なのだけれど、ネットだとコミュニティに属する存在になることが出来た。けど最近は疎外感の方が強くなっている。

この1週間、尚更その気持ちが強くなった。

僕みたいな、ネットに過剰にすがっている人間はなかなか居ない、みんなリアルがある、って自覚はしているからこのことを人に話すのは恥ずかしくて踏み出せなかった。「またメンヘラがなんか言ってるよ」と思われるのがオチである。

 

最近、逃げ道がなくて苦しい。どこ行っても、何してもむなしいから死のうかな、って考える頻度が増えた。

厄介なのが、死にたい気持ちはあまり強くないことなんだ。いろいろ考えたけど、選択肢がそれしかなかった、みたいな。消去法から来る自殺願望なのだ。

ODに逃げてもいいかもしれない。薬をやめたのは去年の半ばあたり。

去年の終盤からODに逃げようかな、って考えるようにはなったけど、なんだかんだしていない。

世間的には死ぬよりはマシか。僕は死んだ方がマシだが。

あ。

構ってほしかった。引きこもりなのに人間と触れ合いたい気持ちが人一倍強い。触れ合う機会がほとんどない引きこもりだからこそか。

 

 僕はインターネットにしか居場所がない。 

コミュニケーションもインターネットで完結している。でも僕には十分だった。心が温まる。

ただいくらインターネットでもみんな人間だ。リアルがある人間なんだ。だから僕と違い、変化や生活がある。

学校、仕事、リアルの人間関係。僕に構う時間はあまりないようだった。さびしい。

インターネットはやっぱりインターネットなんだな、と最近思うようになった。過信していたようだ。

インターネット上でしか関わりようがない僕が消えようとみんなに変化はないし、そもそも消えた事実をどうやって得るんだという話だし。

考えれば考えるほどインターネットはインターネットだ。

 悟ってしまった僕はこの先どうしようかな。

 

次はまともな人間に生まれたい。

どうしようもなくなる日。

どうしようもなくなる日が頻繁にある。何をしても何を見ても何を聞いても無価値に思える日。そういうときは何もしていないが、解決になっているとは思えない。本当は僕も人に頼りたいし、人に優しくされたい。ただ話を聞いてもらいたい。
でも人間は僕に興味がないらしい。相談を受けたり、話を聞いたりすることはたまにあるが、僕が同じ人に同じことをすると興味ががなさそうに対応される。そうなると気分はよくない。
辛い感情がさらに辛くなる。
べつに見返りを求めて話を聞いてるわけでもないけれど、随分利己的だな、とおもう。

人間みんな自分でいっぱい。

じさつしがんしゃ

自殺をする前にあれをしろ、これをしろ、と伝える人がたくさんいるが、そのどれもが的外れだと僕は思う。
そんなもので覚悟が揺らぐなら最初から自殺なんて考えていない。少なくとも僕はそうだ。いや、別に今自殺をしようとしているわけではないが、そんな中身のないアドバイスをもらってもきっと「はあ」としか思わないだろう。
ほとんどの人間が自殺志願者に対して他人事すぎるアドバイスしかしていないように感じる。
それはたぶんその自殺志願者に全く関わりがない人間で「自殺はいけないこと」と言う本能や罪意識で咄嗟に出たアドバイスなんだ。まあ身内に自殺志願者が存在する人間の方が稀だ。
身内に居ればまた考え方やアドバイスも変わってくる、と願いたい。

 

何が書きたかったのか、と言われたら僕も分からない。
精神の状態がよろしくなくて、なんとなく「自殺 はてなブログ」などで検索をかけて、自殺未遂をした人や死のうと考えている人の文章を見て、良くない精神状態が良い意味で刺激を受けた。だからこんなテーマでブログを書いたんだと思う。

 

僕自身、自殺を考えることは減ったが、精神状態に関係なく、いつ死んでもいいとは思っている。
自殺するほどもないな程度に生きている。人間関係に恵まれているわけでもなく、したいことがあるわけでもない、ただ日々を流れるように過ごす人生だ。

 

久しぶりにたくさん文字を打った。

オチを考えていたが、思考の掃き溜めなので、自分が満足する文章を書けたらオチなんていらないか。